2012年06月02日
オリンピックイヤー
今年はオリンピックイヤーですね。
先日、オリンピックにまつわる心温まる話を聞きました。
マラソンの父 金栗四三さんを知っていますか?
1912年(明45)のオリンピック、
第5回ストックホルム大会にマラソン選手として出場しました。
日本人初のオリンピック代表選手でした。
しかし競技の途中、日射病により意識を失って倒れてしまったそうです。
この日ストックホルムは気温40度を超す記録的な暑さで、
競技への参加者のおよそ半数が途中棄権をし、そのうちの1人は
翌日に亡くなるという過酷な状況でした。
倒れてしまった金栗選手は近くの農家で介抱されましたが、目を覚ましたのは
翌日の朝だったのですでに競技も終わっていました。
そんなマラソン競技の途中で消えた日本人の話は、スウェーデンで
しばらく話題になりました。
その後も3回のオリンピックを経験した金栗選手ですが不遇が続き、
悲運のオリンピックランナーとして語り継がれることになります。
今ではお正月の恒例となった「箱根駅伝」は、金栗さんの発案です。
1920年(大9)に第1回箱根駅伝が開催されました。
続きはまた明日。
先日、オリンピックにまつわる心温まる話を聞きました。
マラソンの父 金栗四三さんを知っていますか?
1912年(明45)のオリンピック、
第5回ストックホルム大会にマラソン選手として出場しました。
日本人初のオリンピック代表選手でした。
しかし競技の途中、日射病により意識を失って倒れてしまったそうです。
この日ストックホルムは気温40度を超す記録的な暑さで、
競技への参加者のおよそ半数が途中棄権をし、そのうちの1人は
翌日に亡くなるという過酷な状況でした。
倒れてしまった金栗選手は近くの農家で介抱されましたが、目を覚ましたのは
翌日の朝だったのですでに競技も終わっていました。
そんなマラソン競技の途中で消えた日本人の話は、スウェーデンで
しばらく話題になりました。
その後も3回のオリンピックを経験した金栗選手ですが不遇が続き、
悲運のオリンピックランナーとして語り継がれることになります。
今ではお正月の恒例となった「箱根駅伝」は、金栗さんの発案です。
1920年(大9)に第1回箱根駅伝が開催されました。
続きはまた明日。
Posted by chama
at 23:41