2012年06月11日

ミニバラも



ミニバラも見頃になりました。



梅雨の憂うつな時期にも

鮮やかに咲いてくれています。  


Posted by chama  at 15:26

2012年06月06日

と、思ってたら…

晴れてきたので日食グラスをのぞいて…



金星、見えた、見えた!


次は105年後。  


Posted by chama  at 13:44

2012年06月06日

今日も残念な天体ショー



金環日食も、部分月食も…

天気悪すぎデス。



今日は「金星の太陽面通過」。

朝7時10分ごろから約6時間半、午後2時ごろまで
金星が黒い点となって太陽の前を左から右へ横切るのが見えるはずが…。

日食グラスも再び活躍するはずだったのに〜  


Posted by chama  at 10:11

2012年06月04日

オリンピックイヤー2



さて、その後、1967年(昭42)3月、金栗さんが75才の時のことです。


スウェーデンオリンピック委員会から一通の招待状を受け取ります。
ストックホルムオリンピック開催55周年を記念する式典に招待されたのです。

1912年のストックホルムオリンピックでは、
金栗選手本人の口から棄権の意思がオリンピック委員会に伝わっておらず、
『競技中に失踪し行方不明』として扱われていたそうです。
それに気づいた当時のオリンピック委員会が、
記念式典で金栗選手にゴールしてもらおうと計画しました。


金栗さんは55年振りに再びストックホルムを訪れました。

ストックホルムオリンピック開催55周年の記念式典。

金栗さんは競技場をゆっくりと走り、ついにゴール。
「日本の金栗、ただいまゴールイン。タイム、54年と8ヶ月6日5時間32分20秒3。
これをもって第5回ストックホルムオリンピック大会の全日程を終了する。」
と、アナウンスされました。

金栗選手はゴールした後、
「長い道のりでした。この間に孫が5人できました。」とコメントしたそうです。



金栗さんが生涯に走った距離は25万kmで、地球6週と4分の1だそうです。
1983年(昭58)11月13日、92才で永遠の眠りにつきました。
  


Posted by chama  at 11:50

2012年06月02日

オリンピックイヤー

今年はオリンピックイヤーですね。

先日、オリンピックにまつわる心温まる話を聞きました。



マラソンの父 金栗四三さんを知っていますか?

1912年(明45)のオリンピック、
第5回ストックホルム大会にマラソン選手として出場しました。
日本人初のオリンピック代表選手でした。


しかし競技の途中、日射病により意識を失って倒れてしまったそうです。


この日ストックホルムは気温40度を超す記録的な暑さで、
競技への参加者のおよそ半数が途中棄権をし、そのうちの1人は
翌日に亡くなるという過酷な状況でした。
倒れてしまった金栗選手は近くの農家で介抱されましたが、目を覚ましたのは
翌日の朝だったのですでに競技も終わっていました。

そんなマラソン競技の途中で消えた日本人の話は、スウェーデンで
しばらく話題になりました。

その後も3回のオリンピックを経験した金栗選手ですが不遇が続き、
悲運のオリンピックランナーとして語り継がれることになります。


今ではお正月の恒例となった「箱根駅伝」は、金栗さんの発案です。
1920年(大9)に第1回箱根駅伝が開催されました。


続きはまた明日。  


Posted by chama  at 23:41